かわいいは魔法

主にNEWSとBOYFRIEND とにかくアイドルが好き

推しのツイートとその批判から考えて、私はミサンドリストや性別二元論者とは相容れないなとわかった話

 

私はこのツイートに救われた気持ちになった。私がこれを受けて勝手に救われた気持ちになった、だけだけど。私が好きな人は、私が欲しい言葉をくれる人なんだよなあ、だから好きなんだよなあ、と思った。

LGBTという言葉ができて、メディアでも繰り返しそれが説明されて、それについて理解できるとか認められないとか議論されて久しい。LGBTはカテゴライズし出したらあまりにもたくさんあるセクシュアルマイノリティ性的少数者)の名乗る「種類」の中の、たったの4種類を取り上げたに過ぎない。そのたったの4種類を取り上げて、理解できないとかその人の自由だけどそんな人ばかりになったら国が滅びるとか言い出す。私は私のことをセクシュアルマイノリティだと感じている。暫定的ではあるけど、説明するならばこれです、という用語も持っている。でもそれはLGBTの4つには当てはまらない。私はセクシュアルマイノリティだけど、定義に正確に言うとLGBTではない。そう自認しているからこそ、その手前でわあわあ議論されていると少しモヤモヤする。まだ社会がその段階まで成熟していないのだから仕方ないと諦めはついているけど。

りんたろーさんのツイートは、話題になっている足立区議の発言を受けてのものだと思う。このタイミングでその発信ができるりんたろーさんのことが私はより好きになったよ。名が知れてるたったの4種類だけで切り取れない世界もあることも示唆している視野の広さとか、「理解ができない」ことと「相容れない相手の自由や権利を制限する」ことは違うよねってこととかをこんなに軽やかに言えるセンスが好きだよ。

 

リプや引用リツイートで批判している意見にも内容によって丁寧に対話しようとしていたり、完全に誹謗中傷の域に達しているものをあしらってみたり、他人のリプ欄で喧嘩してる人たちに割り込んでみたりしてるのも相変わらずりんたろーさんらしくて人間味があって愛おしくて好きだよ。

 

批判しているツイートの中で、そもそものツイートでは言っていないことを他の例に当てはめて批判している人もいたけど、それは想像で創作に過ぎないからきちんと文章を読んだうえで文脈を理解したうえでの批判には当たらないよなあと思ったり。

 

批判しているツイートを読んだり、その人のアカウントを見てみたりして、ミサンドリー(男性嫌悪)やアンチトランスジェンダリズムを掲げている人も結構いて、こういう界隈があるんだなと勉強になった。ツイート冒頭の4文字に引っかかっている人が結構いて、それは上記の思想を掲げている人に多いのではないかなという印象を受けた。その人たちのいう主張も確かに頭に置いておかないといけない、考えなければいけない視点でもあるけれど、ミサンドリーは男性嫌悪だしアンチトランスジェンダリズム的意見はトランスフォビア的であると思う。だとしたらそもそものツイートに相容れないのは仕方ない、そもそも真っ向から意見が対立している。

バトラーによると「セックスもまたジェンダーである」ので。女性を抹消するなとか男性は男性だというのは性別二元論的な思想だということなのだと私は理解した。その人が女性差別を矮小化するなと言っているとき、トランスフォビアを矮小化しているし、その性別二元論的な思想のもとで私のようなどっちつかずの曖昧な性自認を持つ者が抹消されるんだなあと思った。この考え方はそれぞれ対立するから分かり合えなくて仕方ない。

 

 

そもそものツイートの意図の解説でしかないけど、理解できない人に理解しろ!って押し付けるような無茶ではなくて、理解できないとしても権利を制限したり差別を制度として社会化するのは違うでしょうという発信が私は現実的に感じられて好きです。

 

結局推しだから贔屓してるからでしょと言われたらそれまでだけど、私はりんたろーさんがしばしばこぼれ落ちている人たちを掬い上げるような視点でチャラく軽やかに爽やかに140字にまとめたことに意味があると思うし、それがセンス良いと思っている。引っかかっている部分があるとしたらそれはもう対立する概念なので仕方ないと思った。

 

 

このツイートは私の思っていることだけど、批判しているのはフェミニズムを掲げる人でもなかったからこれだけでは語れないのだとわかった。はじめからミサンドリーを掲げている人だったりした。ミサンドリストが男性性の立場から発信されたことを批判するのはそりゃそうだなと思ったので、別に対話の余地もないなと。

りんたろーさんのリプ欄ずーっと眺めていて、Twitterには性別二元論者とかミサンドリストとかがこんなにたくさんいるんだとわかった。私の意見とは異なるので見ているとつらくなるのは当たり前で、そういう意見を全く見ないのも健全ではないなと思うのでこうやって目に入ってくるときは見て考えるきっかけにしたい。でもあえて見に行ってしんどくなるのもまた健全ではないね。

たくさん考えてわかったのは、セクシュアルマイノリティである私自身は、ミサンドリーや性別二元論といった思想とは相容れないのだということがわかった。それがわかっただけですっきりした。

 

軽やかにこうして発言していることを評価しているしその内容に救われているのに、巻き起こる批判に私の救われた気持ちは間違いだったかなあとか思ってしまって。こうした発言をすることに萎縮するという意見を見て、そうなってほしくないし気軽に発言して議論できるようになっていってほしいのになと思って、だからこそこのツイートを評価しているのに……という無限ループ。このモヤモヤを消化するために考えて考えて、批判している意見は私やりんたろーさんの意図とはそもそも対立している概念だから仕方ないなという着地点で落ち着くことにした。私が救われた気持ちは事実なんだからそれを大事にしたいな。

 

りんたろーさんのリプを見ていて、今こういうことを考えているんだなという暫定的な軸がしっかりあることがわかってむしろ信頼できたし、ミソジニー気味な価値観が垣間見えるりんたろーさんだからこそ、公の場での発言がここまで洗練されて、表向きだけだとしてもどんどん変化していく姿を見られるのが好きだと思うので。これは自分の過去ツイだけど、

 

でもね、これを書いている朝方にもりんたろーさんがリプ返してたから少し心配になっちゃった。昨日も言ったけど私が一方的に推して応援している好きな人に言いたいのは健やかに生きてほしいという欲望の押し付けです。