かわいいは魔法

主にNEWSとBOYFRIEND とにかくアイドルが好き

仲良しな2人からいろいろ考えた

 

深夜の壁打ちツイートくらい話がまとまってないし口語体すぎて自分でも引いてるんですが、文字数気にしないで語りたかったからブログにしました。

 

※注意点

・めちゃくちゃな雑食オタクがあちこちの推しに言及してるからもし読まれる方は興味ないとこは気持ち良く飛ばしてください。

・コヤシゲと宮下草薙とEXITの話をバラバラします

・ずっと主観でずっと妄言

・解釈と萌え語りをこねくり回すのでそういうのが好きな人向け。生きてる人間に対して失礼だし消費しているということは自覚のうえですが、インターネットに公開しているからには最悪本人の目に触れても私が死なない程度にとどめているつもり。

 

もくじ

 

「小山とシゲは仲良し」

 少クラのみじゅれあのチラリズムを見た。同期でかつてスノプリで実は仲良しの「需要が供給に追いついてきた」(by嶺亜)勢いのある2人。したたかだけどベタベタ系の仲良しじゃない仲良しがまた可愛い。みじゅれあはどこまでもプロアイドルだし凄くつよい。


 それはともかく、みじゅれあにも司会のえび河合くんにも「コヤシゲ=仲良し」前提で認識されているのがヤバいなと思った。河合くんによる「小山とシゲは仲良し」という言葉、これに尽きる。「小山とシゲは仲良し」というのはNEWSとファンの中での認識に留まらなくて、ジャニーズ内で共有されている認識なのだ。これがヤバイ。ふまけんとかやまゆととか、「一時期はバチバチだったけど今は仲良し」とか、SMAPのつとぷとかヨコヒナあたりの「今がベタベタの仲良しかどうかはともかく激強シンメ」みたいなジャニーズ内共通認識ではなくて、「小山とシゲは仲良し」なのだ。このレベルに達しているの誰だろう、キンキとか剛健とか?「小山とシゲは仲良し」というのはジャニーズにとって常識なのだ、そこまで持っていってるコヤシゲがヤバい。でも確かに、コヤシゲって仲悪かった時期とかないんだよな……いつの時代のコヤシゲを見た人もあれは仲良しだと認識できる。「小山とシゲは仲良し」。すごい。コヤシゲってなんなんだ。

 

コヤシゲって何?

 ここであえて内田樹『日本辺境論』(2009)という本から、とても好きな文章を引用してみる。これは日本文化とは何か、日本は辺境であるという自意識などについて書かれた文章なのだけど、あえて引用したいのは以下。

私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。

日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。(中略) 項そのものには意味がなくて、項と項の関係に意味がある。(中略) 変化の仕方が変化しないというところに意味がある。

 この日本文化論の説明は言い得て妙でとても好きなのだが、これはつまるところ「日本文化とは何か、それは日本文化とは何かという問いへの回帰である」と言っている、と私は解釈している。この日本文化の部分はそのままコヤシゲに当てはめられるのではないだろうか?


 私たちは幾度となく「コヤシゲって何……?」と言いたくなる。コヤシゲが一体何なのかわからなくなる。だってコヤシゲはまんじゅうこわい(落語)的な好きだし。それって実は、コヤシゲとは何か、このエンドレスの問いの形がそれなんじゃないか。「変化の仕方が変化しないというところに意味がある」んじゃないか。


コヤシゲってだってわからない。すごい。ずっと仲良し。仲良しで怖い。

 

宮下草薙って何?

 これ同じことを宮下草薙でも言えると思うんですよね。好きになればなるほど、知れば知るほど、宮下草薙ってなんなんだ?って思う訳ですよ。これも同じく、宮下草薙とは何か、それは宮下草薙とは何かという問いに回帰してしまうこと、それ自体なのではないか。

 

EXITの物語性はコヤシゲ/宮下草薙とは種類が違う?

 そしてこれEXITには当てはまらないと思っていて。EXITって深みに嵌れば嵌るほど最初の印象と違うし、後ろ暗いものを抱えているからこそのあのポップさなんだけど、EXITを掘ってもEXITって何だ?とは、私はならなかった。なんというか、あくまで私の主観で個人の感想だけど、彼らの持ってる物語は、この挙げた3組の中では一番、漫画の設定っぽいというか。めくったキャラ紹介欄にざっと書いて説明できそう。こういう背景があるからこうなりました、がわかりやすい。そうなるよね、なるほど、ってできる。


 でも、宮下草薙もコヤシゲも、関係性としてそれぞれ拗らせてるとは思うんだけど、その拗らせに至る過程が、それぞれの物語がキャラ紹介欄に数行でまとめられないというか、一因だけじゃない。しかも、ある程度知ったうえで、こういう物語を持ってて、こういう背景があって、それで出力結果これなの!?!?っていっつもなる。入力それだけど出力これ!?!?っていう。だからコヤシゲって何?宮下草薙って何?ってなる。


 というか、EXITを好きになって2人の歴史を追いかけながら思ったんだけど、知っていくうちにわかることもあれば、多分これがこの人の核なんだろうなっていう部分が私たち消費者であるファンには知ることのできない空白期間にあるんだなってことを凄く強く感じる面、つまり深掘りしても全然わからない部分もあって。核っていうのはこの人を構成する重要な要素が、多分メディアに公開できない空白の部分にあるんだろうなってことなんだけど……。多くの場合は何回か話されているエピソードほど事実に近いんだろうなと思うけど、2人の場合は何度か話されていても、それが嘘か本当か疑いたくなる、見極めないといけない部分もあって、それが深掘りして面白いところと言えばそうだと思う。というか、嘘か本当か疑わしいと感じる部分こそが、本人のパーソナリティを解釈してこねくり回したい「私」にとってはすごく重要な部分に感じられる、から「わからない」という気持ちが強くなる。

 いやまあ宮下草薙もエピソードが嘘か本当か考えさせられることはしょっちゅうだけど、宮下草薙の場合の嘘はたぶんここまで本当でこのくらい盛ってるのかな、が予想できるというか。自分なりの解釈の中でこの人はこういう人だからここで嘘と本当を使い分けるのかな、という納得ができることが多い気がする。なにより、嘘か本当か疑わしい部分が、「ファンである私が」本人のパーソナリティを解釈するにあたって、あんまり重要な要素ではない、気がする。

 そうやって比べるとNEWSの人たちは「物語性」に対して真摯すぎて怖いというか、恐ろしくなるくらいに正直だよな……。特にコヤシゲ?私にとってコヤシゲのサビ?ハイライト?は結構深掘りしたオフレコのところにあったりもするというか、個人を深掘りしたときにまたコヤシゲに出会ってしまうのが末恐ろしいところ。だからコヤシゲって何?
とは言え、宮下草薙でも、NEWSのメンバーでも、この人を構成する大事な要素になった部分の過去が見えない部分の空白期間にあるんだろうなと思う事はもちろんある。あるけどね。

 

NEWSと宮下草薙とEXITに対する「わかる」と「わからない」

 ただなんというか……宮下草薙とNEWSは深掘りすると、個々人のパーソナリティはちょっと「わかった気になれる」んだけど、そのわかったつもりのパーソナリティをもとに関係性を考えるとわからなくなるのが面白くて。それがたぶん「コヤシゲって何?」だし「宮下草薙って何?」を面白がって言えるということなんだと思う。

 一方でEXITは、深掘りした時にむしろ個人のパーソナリティがわからなくなる。そのわからないなりに解釈したパーソナリティをもとにすると、関係性はなんとなくわかった気になれる。そういう違いを暫定的には感じてる。まあまだそれぞれをがっつり追いかけてからの日数が違うからまたこの先では違う感想を持ってるかもしれないけど……。

 

最後に言い訳

 ずっとにわかの虚言なんだけどね……生きてる人間について解釈とかやり出す残酷さを感じる一方で、この営みの面白さも感じるし、生きてる人間を消費するというエンターテイメントだなと思う………。


 重たくなってきたけど、めくったらおもーいもの背負ってるのにそれをポップに出力してる人たちに魅力を感じて、普段は脳直でかわいいね仲良しだねしか言ってないからごめんだよ………みんな好きです………。

 ほんと、コヤシゲ:「小山さんとリアルラブ」(SONGS OF TOKYO2019)とか婚姻届ごっこするコヤシゲ(NEWSな2人2020年3月6日放送回)とか「俺もいるし」(KちゃんNEWS2019年1月29日放送回)とか、EXIT:「お前だけはずっとそばにいろよ」(漫才「出馬」)とか見返しては、「なんでそんなすぐ永遠を誓うん???冗談でも本気でもそんな一生を誓うようなこと言える関係性の相手いる???私はいないよ???」って嫉妬と羨望と萌えでキレ散らかしてるだけの脳内お花畑オタクだからね……ただただ好きが原動力。好きな人たちはなるべく褒め倒したい。そういうタイプです。